気付かれないように、彼の横顔を見る。何度も、何度も。銀髪に赤いコート、ちょっとニヒルな話し方。それに、ほかの人とは違うなにか。十年ほど前、会ったときとは違うけれど、間違いなく、彼だ。 「もう遅い。今日はあそこに泊まろう」 何にもない道の先に、モーテルの看板の明かりが見えた。顎を上げればたくさんの星が見える。は一度空を見て、再び、ダンテの横顔を盗み見る。 『防犯上、あと、そんなにお金に余裕がないの』 そう言って、同じ部屋に泊まることにした。 「本当にいいのか?」 部屋に入ると同時に、フロントでも言っていたことを彼が反復する。 心許ないドアの鍵。掛け布団の斜めった狭いベッド。幾人もの人が歩いたであろうカーペットには、ところどころシミまである。 「実はわたし、モーテルに泊まったことがなくて」 「だろうな、お嬢ちゃん」 揶揄うような言い方。は恥ずかしくなって少し睫毛を伏せた。ダンテはそんなの様子を知ってか知らずか、中のスポンジが見えそうな椅子にどかっと腰掛けると、目を閉じる。 「俺はここで寝る」 「そんな悪いわ、どうかあなたがベッドで寝て」 「これじゃ、俺一人でもはみでちまう」 気を遣ってくれたのだろうか。なんにせよ、彼の言ったことは事実だったので、申し訳ないがはベッドで寝ることにした。 にとって『防犯上』だなんだというのは方便で、もう少し彼と話していたいだけだった。彼は遅くまで自分と話そうなんて気はないみたいだが、こういう部屋ならば結果的に防犯上一緒にいてもらえてよかった。 「シャワーは?」 「俺は明日でいい」 ダンテは、話しかけないでくれと言わんばかりに目を閉じたままひらひらと手を振る。そっけないが、なぜだかは不愉快には感じなかった。 わたしはシャワーを浴びたい。ダンテが運んでくれたトランクケースを開け、下着とネグリジェを取り出す。の荷物は決して多くはなかった。出て行くつもりで全て持ってきたが、十年近い修道院暮らしでは、所持品は増えようもなかった。自分自身と、必要最低限の衣類。それに、現金、家の鍵。それが、今のの全てだった。 お風呂の蛇口をひねる。出てきた水に手を晒す。水は手が凍りそうなほど冷たい。今は十二月。いつのまにか季節は冬になっている。 この古いモーテルは、設備も古いようで、なかなか湯気が立たなかった。湯が出るようになったところで、バスタブの栓をする。 洗面台に着替えを準備して、服を脱いだ。バスタブに湯がたまるのを、浸かって待つ。胸の下までたまったあたりで、やっと暖房も効き始め、外気で冷えた身体も芯から温まったような気がした。 備え付けのタオルは、半乾きの香りがした。修道院の服やシーツの、お日様の香りが少し恋しくなる。は洗濯が好きだった。洗濯に限らず、お皿洗いや、床拭きや、本の整理……そんな細かな家事をすることが好きだった。 修道院での生活に全く未練がないかと言えば、嘘になる。誰に害されることもない、閉じた世界で、淡々と日々を生きることの尊さは、誰でも知っている。 着替えて、寝るを支度を済ませ、ベッドルームに戻ったは、静かに眠っている彼を見やった。彼──ダンテという男は、が今までの生活を捨て去った理由に他ならなかった。 「覚えてないのかな、あのときのこと……」 は小さな声で呟いた。覚えていてほしかったのだろうか。もし彼が覚えていたとして、だったらなんだというのだろう。 記憶の中のダンテと、今のダンテは違う。彼の内面も、よく知らないのだ。でも、もっと知りたい、彼のことを。 は部屋を暗くして、横になった。ダンテのいる方に身体を向ける。間接照明に照らされた彼は、まるで彫像のようだ。珍しい銀の髪が、そう感じさせるのだろうか。すぐそばに、人並外れた"何か"を持つ男が眠っている。はそのことに、不思議と安心した。彼が自分を傷つけるとは、到底思えない。彼のことをよく知らなくても、善人であることは伝わるのだ。 「おやすみなさい、ダンテ」